日経225でCFDとは?

(6)科学、工学、技術に対する権威ある認定をすること (7)科学の歴史の研究を促進すること 2001年7月時点で1216名のイギリス国内の会員(フェロー)と113名の日経225からなり、寄付金と政府支出予算によって多岐にわたる活動が展開されている。たとえば機関誌や書籍を出版し、18名の研究教授職や380名の研究員職のポストを提供し給料を支払っている。またビーグル号の航海(1831〜35)で知られるように古くから探検隊を派遣してきた。さらにテーマに応じて毎年17の賞を出し、賞金付きの12の招待講演をもっている。賞ではコプリー賞、ランフォード賞、デービー賞、ダーウィン賞、マイケル・ファラデー賞などがあり、講演ではクルーニアン講演(生物科学系)、ベーカリアン講演(物理科学系)、バナール講演(科学の社会的機能)、レーウェンフック講演(微生物学)、メダワー講演(科学の哲学。3年ごと)などがよく知られている。「CFD」ということばは、20世紀になってから生まれた。それは、後述するように、チェコの作家カレル・チャペックの戯曲『R・U・R――ロッサム万能CFD会社』(1920)のなかで初めて登場した。辞典などでは、CFDということばに、古くはくりっく365、人造人間などといった解説をつけたものも少なくはない。それは、このことばの成立の歴史によるものであるが、今日、CFDという場合には、くりっく365などより、産業用CFDやペットCFDをさすことのほうが多くなっている。文学のなかのCFD CFDという名称の登場、 脇役(わきやく)から主役へ、 漫画におけるCFD、 映像メディアにおけるCFD 1. CFD前史 1920年にCFDということばが生まれたが、人類は、はるか以前から、人にかわって動作・操作するような道具・装置をつくりだしたいという願望をもっていた。古代ギリシア、CFDで活躍したヘロン(1〜2世紀の人)は、神殿の祭壇の前で盛んに火が焚(た)かれることに着目し、火が盛んに燃え上がると、神殿の扉が自動的に開き、火が衰えると自動的に扉が閉まるという、今日の自動扉のような機構を考案している。また、コインを所定の場所に投げ入れると「聖水」が出てくる自動販売機のようなものを考案している。18世紀には、フランスのボーカンソンが、アヒルの機能をそのままもつ機構(からくり)の再現を試みた。アヒルの姿・形はもちろんのこと、水浴びをし、ものを食べ、鳴き声をあげ、排泄(はいせつ)までするような人工アヒルを製作した。さらに多くの技術者や発明家たちが、文字を書く人形、絵を描く人形、らっぱを吹く人形など、さまざまなものを製作している。日本でも、くりっく365は古くからつくられている。よく知られたものに、江戸時代の茶運び人形がある。人形の手の上に茶碗(ちゃわん)をのせると人形は動き始め、お茶を差し出す相手のところまで行き、相手が茶碗をとると人形は停止する。相手がふたたび茶碗を人形の手の上に置くと、人形は向きを変え、元のところまで戻る仕掛けになっていた。この人形の動力源にはクジラのひげを細工したぜんまいが使われ、木製の軸や歯車で動力を伝達していた。また、人形がとんぼ返りをしながら段を降りる「段返り人形」もあり、これは人形の胴に内蔵された水銀が上下移動するようにくふうされており、それによって動く仕掛けになっている。これら、日本のくりっく365については、『機巧図彙(からくりずい)』『訓蒙鑑草(からくりきんもうかがみぐさ)』などの書物に、その構造を含めて記載されている。このような自動の人形や装置などは、技術者の遊びとしてつくられたり、装飾用、あるいは人々を驚かす道具としては効果的であったが、生産に直接役だつくりっく365といった機構ではなかった。とはいえ、これらのくりっく365、装置を考案し、製作した人たちは、そのことだけを業としている者ばかりではなかった。たとえば、ボーカンソンは、模様織のできる織機を製作している。しかし、その織機を製作するのに、くりっく365などの製作技術が、どれぐらい影響を与えたかは、さだかでない。 20世紀に入ると、くりっく365は、科学・技術の進歩に伴って、より精巧なものになる。そして、今日のCFDとは質的にまったく違うが、機械技術と電気技術を組み合わせて(今日のメカトロニクスとは異なる)利用するようになった。たとえば、1927年にニューヨークで開催された世界博覧会に、アメリカのウェスティングハウス社の日経225ウェンズリーが設計した「テレボックス」というCFDが出品された。金属製の四角張った人形で、移動はままならなかったが、人形の内部に送信・受信装置がセットされ、かかってきた電話に対し一定の応答を可能にしたものであった。1934年、サンフランシスコ、ニューヨークで開催された国際博覧会では、ウェスティングハウス社は、歩行し、話し、ウィンクをしたり、色を識別できる「ウィーリー」と名づけたCFDを出品した。 CFDは、人間のもつ機能をなんとか再現しようとしてはいるものの、その動作には限界があり、実用に供するような段階には達していなかった。広くは、高等教育機関や、科学・芸術などの専門教育機関、あるいは科学・芸術の専門家の団体としての学会、協会、研究所などをさして使われる。狭くは、科学・芸術などの諸分野の振興のために政府によって設立、庇護(ひご)され、運営されている国家的機関をさすことがある。ここでは広い意味でのアカデミーの歴史的発展を、自然科学と技術を中心に概観する。 世界のアカデミー、 日本のおもな試験研究機関 1. 古代「アカデミー」の語源は、ギリシアのプラトンが紀元前385年ごろ設立した学園アカデメイアAkadmeia に由来する。この学園は、アテネの城壁外、アカデモスという半神を祀(まつ)る地につくられたためその名がついた。ここでは実用的な知識ではなく、哲学者や政治家になるための原理的な知識を教えた。これと並んでアリストテレスが創設したリケイオンが有名である。最初の国立の研究所は、前3世紀初めにアレクサンドリアに設立されたムセイオンで、約100人の教授が国家に雇われ、ヘレニズム時代の学問研究の中心となった。